2011/09/26

Twitter


 ここ2週間か1ヶ月くらいか忘れたけど、今Twitterの利用を減らしている。
フォロー数を減らして、今30人くらいしかフォローしてない。
別にTwitterでフォローしてるから友達って訳でもないし、本当にツイート見ていたいって人だけ残した。こうしたら本当に興味があるツイートしかTLに表示されなくて間違いなくTLの質はあがった。
 ついったでフォローしている人増やしたら、自分に入ってくる情報がどんどん増えて、自分の考えとか感覚とか見失っちゃう。誰から聞いたでもなく、自分で考えた事のほうが気もちいいし価値がありそうじゃない?

ツイート数も減らしてる。
ついったーやってる人はしゃべり過ぎだと思ったから。愚痴とか、怒っている事とか誰かにしゃべったらすっきりするけれど、ついったで不特定多数の人にしゃべって見てる人不快にするようなやつだっている。
 しゃべる必要のないことだっていっぱいあって、どうせだったら多少でも価値のある言葉を落としたい。だから無駄なついーとするのやめた。


 それから少したった。

昨日か一昨日あたりにちょっとだけついーとしてみた。
2年前についったを始めたころは何ついーとしていいのかわかんなくて、馴染むまで少しかかった。でも1ヶ月のブランクがあってもまたついーとすればいくらでもツイートする事はできそうだった。このついーとする感覚は僕に染み付いている。

ついーとの根底にはフィードバックの欲求があると思う。
自分のついーとに関しての周りの反応とか、リプライとか少なからず期待している。だからふぁぼられたりRTされたりリプライされたがるんじゃない?
いわいるかまってちゃんみたいなついったらーがこの欲求を素直にあらわした人だと思う。何かしらのフィードバックが欲しくてかまって欲しい。

このフィードバックの欲求の大きさは人にもよるしツイートにもよると思う。
周りになんて興味ないって人は小さい。
僕はこの欲求があって、フィードバックが欲しくてツイートしたり、ちょっとかっこいいこと言ってみようと思ったりする。でもこのどうやったらかっこいい事いえるかな見たいに考えてる時間はすごく無駄、むなしい時間でちょっといやになる。

誰でも良いから誰かに言いたいって事はあって、ついーとすればいいけど、ついーとしないでおく事も出来る。
でも誰かには言いたいから友達とかに言ってしゃべりたいこと増えて、ねっとの上の不特定多数の人よりも、自分の隣にいるひととコミュニケーションを楽しめるような気がした。

自分で考えてる事はたまっていくし、いつかアウトプットしたくなるもの。
でも今ついったーしないようにしてるから変わりにここに書き出してる。


ついったーしないのにはなれたし、群を抜ければ時間は増えるって言うようについったーっていう”群”を抜けたら確かに時間は増えた。

ついったーやめちゃうかって思うけど、でも”やっぱり”ついーとを見ていたい人はいる。
尊敬する人とか、憧れる人、もちろん好きな人も。そう言う人の言っている事は少しでも見たい。自分を浄化してくれるようなついーとする人だっている。

だからついったーはやめられない。

会った事の無い人のついーとに囲まれる事はすばらしいことだから。

でも自分に不要なついーとに囲まれる必要はない事は覚えておきたい。
自分に入る情報は自分で制御していきたい。

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