2012/06/09

時即是金、金即是時

「時は金なり」と言う諺がある。時間はお金のような物だ、と言う意味である。
最近、TIMEと言う映画を見た。寿命が通貨の世界の物語だ。

 時間はお金の役割をする。と言うよりは、お金はたまに時間の役割をすると言う方が正しいかもしれない。
 何かこう、好意を表現したい時がある。好きって言う気持ちを伝えたい時。告白でも良い。そんな時は時間が評価の基軸になる。
 例えば、もし好きな相手に告白のラブレターを書くとしよう。下書きは紙でもパソコンでも良い。書いたり消したりが楽な分パソコンで書くかも知れない。けれど、パソコンで書いたラブレターをそのまま印刷して渡すだろうか。きっと渡さないし、きっと印刷されたラブレターは嬉しく無いだろう。きっと、手で気持ちのこもった文字で書くだろう。その方が貰った側としても嬉しい。
 なぜ手書きの手紙のほうが嬉しいのか。それは書くのに時間がかかるからだと思う。手書きの手紙は、手で書くと言う時間で裏付けされている。それに対して印刷は別に時間がかからない。コピペかも知れない。
 人は、時間をかけて作られた物の方を好ましく感じる。例えばこうだ。時給1万円の人からプレゼントされた1万円の誕生日プレゼントよりも、時給1000円の人からプレゼントされたそれの方が嬉しく感じる。誠意や好意を表す場合、評価の基準は大体において時間であり、あるいは時間の代わりとなるお金なのである。
 就職活動の時に、手書きで履歴書を書く事があまりにも時間の無駄に感じた時期があった。しかし、「手書きで、時間を無駄にする事」に評価の基軸があるのだと気がついた。高いものは高いと言うステータスのために存在する事ができる、と思うが、それと同じで時間がかかる行為は時間がかかると言うステータスのために存在する事ができる。

 人類が進歩して、想像し得るあらゆる事が可能な世界になったら、お金は文字通り絶対的な価値基準になるかもしれない。しかし、そんな事はおそらくこれを読んでいる人が生きているうちには無いだろうから、お金は絶対に絶対的な価値基準にはなり得ないだろう。

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